風景写真、猫、食べ物の写真など載せています。
石仏巡りと油日神社 [京都・風景]
今回は、久しぶりに撮影してきたのでそれを載せたいと思う。
その日は一日曇り空だったので違う日にすればよかったかなと思いながら
撮影していた。(^^;
撮影:FUJIFILM X-T3、XF18-135mmF3.5-5.6 R LM OIS
午前中は当尾の里の石仏巡りをして、それから滋賀県の油日神社を訪れ、
最後に近江八幡で少しばかり撮影した。
まずは、当尾の里から。
岩船寺の駐車場に車を停めて、歩き始めた。
岩船寺(がんせんじ)は、京都府木津川市加茂町岩船にある真言律宗の寺院。
山号は高雄山(こうゆうざん)。本尊は阿弥陀如来。開山は行基と伝える。
アジサイの名所として知られる。
岩船寺は京都府の南端、奈良県境に近い当尾(とうの)の里に位置する。
この地区は行政的には京都府に属するが、南山城は地理的には奈良に近く、
文化的にもその影響が強い。
近くには九体阿弥陀仏で知られる浄瑠璃寺がある。
岩船寺、浄瑠璃寺付近には当尾石仏群と称される鎌倉時代を中心とした石仏や石塔が多数残り、
その中には鎌倉時代の銘記を有するものも多い。
当地は中世には、南都(奈良)の寺院の世俗化を厭う僧たちの修行の場となっていた。
岩船寺の駐車場の無人スタンドでシイタケを買った。
帰ってから焼いて食べてみたが、とてもジューシーで美味しかった。
岩船寺の三重塔
ミツマタの花が咲いていた。
岩船寺を後にして、当尾の石仏を巡った。
当尾の里とは・・・
木津川市内東南部の加茂町当尾(とうの)地区は古来、南都仏教の影響を色濃く受け、
世俗化した奈良仏教を厭う僧侶が穏遁の地として草庵を結び、
念仏に専心したと伝えられています。
やがて草庵が寺院へと姿を変え、塔頭が並び「塔の尾根」ができ、
いつしか「当尾」と呼ばれるようになったといわれます。
浄瑠璃寺や岩船寺周辺は小田原と呼ばれ、寺院や修行場が散在し、
多くの磨崖仏が造立されました。
これらは道を行き交う人々を優しく見つめてくれる道しるべとしての石仏達です。
石仏は当尾の里の広範囲にわたり、散策コースの道中では旬の野菜が並ぶ吊り店(露店)など、
四季折々の美しい山村の風景が楽しめます。
わらい仏
当尾の代表的な石仏の一つです。
蓮台を持つ観音菩薩と合掌する勢至菩薩を従えた阿弥陀仏です。
永仁7年(1299)の銘文があり、上部の屋根石が廂となっているので、
風蝕の影響も少なく保存状況は良好です。
特に夕陽の中にたたずむ、やさしい微笑みをたたえた姿は微笑ましいものがあります。
平重衡の南都焼き討ちにより焼失した東大寺の再興のため遠く中国から招かれた石工、
伊行末の子孫、末行の作です。
弥勒摩崖仏
山際の巨岩に高さ2.5mほどの仏さまが線彫りされています。
これは笠置寺本尊の弥勒磨崖仏(現在は焼失し、光背が残るのみ)を
かなり忠実に模写したもので伊末行の作です。
からすの壷
古くからの分岐点にあります。
岩の中央に15cmほどの穴が掘られた礎石が粉を挽く唐臼に似ていることから
「からすの壷」と呼ばれます。
からすの壷二尊
一つの岩に阿弥陀如来坐像と、面を変えて地蔵菩薩立像が彫られています。
阿弥陀仏の横に線彫灯籠は、火袋を彫り込み、そこへ燈明が供えられる珍しいものです。
あたご灯籠
三叉路に建つ形式にとらわれない変わり燈籠で、
愛宕神は火の神様(火伏せ)を司っています。
当尾ではお正月にここからおけら火を採り雑煮を炊く風習があったそうです。
同型の燈籠が、穴薬師の前と岩船の集落にもあります。
首切り地蔵
「釈迦寺跡」に建つこのお地蔵さまは、藪の中三尊と共に在銘石仏では最古のものです。
「首切り地蔵」の別名は、昔処刑場にいたからといわれています。
一時姿を消し都会に出ておられましたが、村人によって現地へ戻されました。
大門石仏群
竹藪の中や細い山道にあった石仏、石塔などを集めて安置しなおしたものです。
双体仏や石龕仏、六字名号板碑や五輪板碑などがあり、変化に富んでいます。
大門仏谷の如来形大摩崖仏
当尾の石仏群中、最大の磨崖仏です。
像名に関して、阿弥陀如来、弥勒如来、釈迦如来などの諸説があり、
まだ確定しきれていません。
また製作時期に関しても奈良時代から鎌倉中期までの諸説があり、
今後の研究課題を与えてくれる大きな仏さまです。
かつては真下まで行ける道があったのですが、現在は草に埋もれてしまい、
谷を隔てた道が拝所となります。
ツジンドの焼け仏
西小三叉路近くの旧道に建っています。
「ツジンド」とは「辻のお堂」のことでしたが、火災で焼失し、石仏も損傷を受けました。
中央に阿弥陀如来、両脇に錫杖を手にした十一面観音と地蔵を従える堂々とした石仏です。
浄土信仰と地蔵信仰が結合した所産です。
たかの坊地蔵
小さな石仏群の中の、舟形の光背の矢田型の地蔵尊です。
風化してよく見えませんが、頭の周りには蓮弁の光背が刻まれています。
錫杖を持たない姿のお地蔵さまは、一般的に古いタイプのものとされています。
他の石仏群は室町時代のものです。
浄瑠璃寺の参道入り口には焼き物を売っている店がある。
浄瑠璃寺の三重塔
浄瑠璃寺(じょうるりじ)は、京都府木津川市加茂町西小札場(にしお ふたば)にある
真言律宗の寺院。山号は小田原山。
本尊は九体阿弥陀仏・薬師如来。開基は義明上人である。
寺名は薬師如来の居所たる東方浄土「東方浄瑠璃世界」に由来する。
本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺(くたいじ)の通称があり、
古くは西小田原寺とも呼ばれた。
緑深い境内には、池を中心とした浄土式庭園と、平安末期の本堂および三重塔が残り、
平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。
本堂は当時京都を中心に多数建立された九体阿弥陀堂の唯一の遺構として貴重である。
堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』にも当寺が登場する。
本堂
浄瑠璃寺周辺ではよく猫を見かける。
穴薬師
数枚の板石の石龕の中に、薬壷を持った薬師如来石仏が祀られています。
向かって右に愛宕(あたご)燈籠が建ち、周囲には室町期の石仏が安置されています。
耳病に効のある仏様です。
徒歩で当尾の里を巡った。
くたくたになった。(^^;
歩数にして15000歩だった。
それで当尾の里を後にして、
滋賀県甲賀市にある油日神社に向かった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
油日神社
ブラタモリで紹介されたことがある。
他いろいろな番組で使われている。
JR油日(あぶらひ)駅の東約1.7km油日岳(694m)の北西麓にあります。
昔、この山頂に油日大明神(あぶらひだいみょうじん)が降臨し、
そのとき大光明を発したので、「油日」の名が起こったといいます。
山頂に「岳大明神(だけだいみょうじん)」の奥宮が祀られ、
奥宮に対する里宮が油日神社です。
古くから朝廷の崇敬が厚く、甲賀の総社と敬われ、油の火の神として庶民の信仰も広く集めました。
現在でも全国油業界の信仰が厚くあります。
明治維新までは神仏習合の色彩が濃く、室町時代の絹本著色十一尊蔓荼羅図
(きぬほんちゃくしょくじゅういちそんまんだらず)、
千手観音三尊蔓荼羅図、種子三千仏などが保存されていることなどは、
そのことをよく物語っています。
広大な神域には、数百年を経た老樹が密生し、社殿は古社の様相をよく伝えています。
正面の参道から見ると、楼門・回廊(かいろう)・拝殿・本殿が一直線に整然と並んでいます。
いずれも、重要文化財に指定されている室町時代の神社建築ですが、
このようにまとまって一境内に現存しているのは、県下でもきわめて珍しいです。
太鼓踊りなどの祭礼も意義深いものがあります。
見事な神社建築だけでなく、山岳信仰や民俗行事も見落とせません。
油日神社はここまで。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここからは近江八幡
近江八幡の水郷めぐり
ラ コリーナ近江八幡にちょっと寄ってみた。
バームクーヘンでも食べれるかなと思って中に入ったが、
コロナ禍の中、人がいっぱいだったので断念した。
ラ コリーナ近江八幡は、自然を愛し、自然に学び、人々が集う繋がりの場。
八幡山から連なる丘に、緑深い森を夢み、自ら木を植え、小川を作り、
生き物たちが元気に生きづく田畑を耕しています。
このような環境の中に、和・洋菓子のメインショップをはじめ、
自社農園のキャンディーファーム、本社、飲食店、マルシェ、専門ショップ、パンショップなど、
ゆったりとした自然の流れに寄り添いながら、長い年月をかけて手がける壮大な構想。
その日は一日曇り空だったので違う日にすればよかったかなと思いながら
撮影していた。(^^;
撮影:FUJIFILM X-T3、XF18-135mmF3.5-5.6 R LM OIS
午前中は当尾の里の石仏巡りをして、それから滋賀県の油日神社を訪れ、
最後に近江八幡で少しばかり撮影した。
まずは、当尾の里から。
岩船寺の駐車場に車を停めて、歩き始めた。
岩船寺(がんせんじ)は、京都府木津川市加茂町岩船にある真言律宗の寺院。
山号は高雄山(こうゆうざん)。本尊は阿弥陀如来。開山は行基と伝える。
アジサイの名所として知られる。
岩船寺は京都府の南端、奈良県境に近い当尾(とうの)の里に位置する。
この地区は行政的には京都府に属するが、南山城は地理的には奈良に近く、
文化的にもその影響が強い。
近くには九体阿弥陀仏で知られる浄瑠璃寺がある。
岩船寺、浄瑠璃寺付近には当尾石仏群と称される鎌倉時代を中心とした石仏や石塔が多数残り、
その中には鎌倉時代の銘記を有するものも多い。
当地は中世には、南都(奈良)の寺院の世俗化を厭う僧たちの修行の場となっていた。
岩船寺の駐車場の無人スタンドでシイタケを買った。
帰ってから焼いて食べてみたが、とてもジューシーで美味しかった。
岩船寺の三重塔
ミツマタの花が咲いていた。
岩船寺を後にして、当尾の石仏を巡った。
当尾の里とは・・・
木津川市内東南部の加茂町当尾(とうの)地区は古来、南都仏教の影響を色濃く受け、
世俗化した奈良仏教を厭う僧侶が穏遁の地として草庵を結び、
念仏に専心したと伝えられています。
やがて草庵が寺院へと姿を変え、塔頭が並び「塔の尾根」ができ、
いつしか「当尾」と呼ばれるようになったといわれます。
浄瑠璃寺や岩船寺周辺は小田原と呼ばれ、寺院や修行場が散在し、
多くの磨崖仏が造立されました。
これらは道を行き交う人々を優しく見つめてくれる道しるべとしての石仏達です。
石仏は当尾の里の広範囲にわたり、散策コースの道中では旬の野菜が並ぶ吊り店(露店)など、
四季折々の美しい山村の風景が楽しめます。
わらい仏
当尾の代表的な石仏の一つです。
蓮台を持つ観音菩薩と合掌する勢至菩薩を従えた阿弥陀仏です。
永仁7年(1299)の銘文があり、上部の屋根石が廂となっているので、
風蝕の影響も少なく保存状況は良好です。
特に夕陽の中にたたずむ、やさしい微笑みをたたえた姿は微笑ましいものがあります。
平重衡の南都焼き討ちにより焼失した東大寺の再興のため遠く中国から招かれた石工、
伊行末の子孫、末行の作です。
弥勒摩崖仏
山際の巨岩に高さ2.5mほどの仏さまが線彫りされています。
これは笠置寺本尊の弥勒磨崖仏(現在は焼失し、光背が残るのみ)を
かなり忠実に模写したもので伊末行の作です。
からすの壷
古くからの分岐点にあります。
岩の中央に15cmほどの穴が掘られた礎石が粉を挽く唐臼に似ていることから
「からすの壷」と呼ばれます。
からすの壷二尊
一つの岩に阿弥陀如来坐像と、面を変えて地蔵菩薩立像が彫られています。
阿弥陀仏の横に線彫灯籠は、火袋を彫り込み、そこへ燈明が供えられる珍しいものです。
あたご灯籠
三叉路に建つ形式にとらわれない変わり燈籠で、
愛宕神は火の神様(火伏せ)を司っています。
当尾ではお正月にここからおけら火を採り雑煮を炊く風習があったそうです。
同型の燈籠が、穴薬師の前と岩船の集落にもあります。
首切り地蔵
「釈迦寺跡」に建つこのお地蔵さまは、藪の中三尊と共に在銘石仏では最古のものです。
「首切り地蔵」の別名は、昔処刑場にいたからといわれています。
一時姿を消し都会に出ておられましたが、村人によって現地へ戻されました。
大門石仏群
竹藪の中や細い山道にあった石仏、石塔などを集めて安置しなおしたものです。
双体仏や石龕仏、六字名号板碑や五輪板碑などがあり、変化に富んでいます。
大門仏谷の如来形大摩崖仏
当尾の石仏群中、最大の磨崖仏です。
像名に関して、阿弥陀如来、弥勒如来、釈迦如来などの諸説があり、
まだ確定しきれていません。
また製作時期に関しても奈良時代から鎌倉中期までの諸説があり、
今後の研究課題を与えてくれる大きな仏さまです。
かつては真下まで行ける道があったのですが、現在は草に埋もれてしまい、
谷を隔てた道が拝所となります。
ツジンドの焼け仏
西小三叉路近くの旧道に建っています。
「ツジンド」とは「辻のお堂」のことでしたが、火災で焼失し、石仏も損傷を受けました。
中央に阿弥陀如来、両脇に錫杖を手にした十一面観音と地蔵を従える堂々とした石仏です。
浄土信仰と地蔵信仰が結合した所産です。
たかの坊地蔵
小さな石仏群の中の、舟形の光背の矢田型の地蔵尊です。
風化してよく見えませんが、頭の周りには蓮弁の光背が刻まれています。
錫杖を持たない姿のお地蔵さまは、一般的に古いタイプのものとされています。
他の石仏群は室町時代のものです。
浄瑠璃寺の参道入り口には焼き物を売っている店がある。
浄瑠璃寺の三重塔
浄瑠璃寺(じょうるりじ)は、京都府木津川市加茂町西小札場(にしお ふたば)にある
真言律宗の寺院。山号は小田原山。
本尊は九体阿弥陀仏・薬師如来。開基は義明上人である。
寺名は薬師如来の居所たる東方浄土「東方浄瑠璃世界」に由来する。
本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺(くたいじ)の通称があり、
古くは西小田原寺とも呼ばれた。
緑深い境内には、池を中心とした浄土式庭園と、平安末期の本堂および三重塔が残り、
平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。
本堂は当時京都を中心に多数建立された九体阿弥陀堂の唯一の遺構として貴重である。
堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』にも当寺が登場する。
本堂
浄瑠璃寺周辺ではよく猫を見かける。
穴薬師
数枚の板石の石龕の中に、薬壷を持った薬師如来石仏が祀られています。
向かって右に愛宕(あたご)燈籠が建ち、周囲には室町期の石仏が安置されています。
耳病に効のある仏様です。
徒歩で当尾の里を巡った。
くたくたになった。(^^;
歩数にして15000歩だった。
それで当尾の里を後にして、
滋賀県甲賀市にある油日神社に向かった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
油日神社
ブラタモリで紹介されたことがある。
他いろいろな番組で使われている。
JR油日(あぶらひ)駅の東約1.7km油日岳(694m)の北西麓にあります。
昔、この山頂に油日大明神(あぶらひだいみょうじん)が降臨し、
そのとき大光明を発したので、「油日」の名が起こったといいます。
山頂に「岳大明神(だけだいみょうじん)」の奥宮が祀られ、
奥宮に対する里宮が油日神社です。
古くから朝廷の崇敬が厚く、甲賀の総社と敬われ、油の火の神として庶民の信仰も広く集めました。
現在でも全国油業界の信仰が厚くあります。
明治維新までは神仏習合の色彩が濃く、室町時代の絹本著色十一尊蔓荼羅図
(きぬほんちゃくしょくじゅういちそんまんだらず)、
千手観音三尊蔓荼羅図、種子三千仏などが保存されていることなどは、
そのことをよく物語っています。
広大な神域には、数百年を経た老樹が密生し、社殿は古社の様相をよく伝えています。
正面の参道から見ると、楼門・回廊(かいろう)・拝殿・本殿が一直線に整然と並んでいます。
いずれも、重要文化財に指定されている室町時代の神社建築ですが、
このようにまとまって一境内に現存しているのは、県下でもきわめて珍しいです。
太鼓踊りなどの祭礼も意義深いものがあります。
見事な神社建築だけでなく、山岳信仰や民俗行事も見落とせません。
油日神社はここまで。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここからは近江八幡
近江八幡の水郷めぐり
ラ コリーナ近江八幡にちょっと寄ってみた。
バームクーヘンでも食べれるかなと思って中に入ったが、
コロナ禍の中、人がいっぱいだったので断念した。
ラ コリーナ近江八幡は、自然を愛し、自然に学び、人々が集う繋がりの場。
八幡山から連なる丘に、緑深い森を夢み、自ら木を植え、小川を作り、
生き物たちが元気に生きづく田畑を耕しています。
このような環境の中に、和・洋菓子のメインショップをはじめ、
自社農園のキャンディーファーム、本社、飲食店、マルシェ、専門ショップ、パンショップなど、
ゆったりとした自然の流れに寄り添いながら、長い年月をかけて手がける壮大な構想。
2022-03-30 18:40
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コメント(6)
ラコリーナ近江八幡までも行かれたのですね。こちらはいつも人がたくさんいらっしゃるみたいですね。朝一番に行かないとなかなか厳しそうです。
無人スタンドのお写真すごく素敵です!
緑の風景のお写真も雰囲気が良いなぁって思いますけど、私なんかだと何気なく見逃してしまう光景が、ものすごーくお洒落です。しかも美味しそうw
ミツマタのお写真は不思議な空間が浮かんでるようで、素敵。
曲がった道やお地蔵さま、焼き物のお店、どれも物語があるようで、ずっと眺めていたいです。
このお写真たちは曇りの日なのですよね?
とても柔らかな明るい世界に見えます。
by そら (2022-03-31 21:08)
そらさん、コメントありがとうございます。
ラコリーナご存じでしたか?
確かに大勢の方がいて並んでいたので、
とても最後尾につく気にはなれなかったです。
朝一番でないとだめなら、もう機会はないかな。
無人スタンドは、当尾の里には結構あって、
100円で買えるものばかりなのでお買い得でしたよ。
採れたてなので、生き生きしてますしね。
食べれる物の写真はいいものですね。
ようやく春になり、緑の景色が増えてきて、
これからは写真映えしますね。
自分的に気になったものを撮って、
人はどう思うかなと少し気になるんだけど、
まあいいかと思い切って載せています。(^^;
褒めていただいて、ホントありがたいです。
ちょっと心配してるので。
ミツマタは確かに不思議な雰囲気ありますよね。
浮かんでいるような感じが確かにあります。
石仏巡りは楽しいですよ。
初めて行く方ならわくわく感があります。
焼き物はかなり品数がありました。
猫の置物、買いたかったんですが、
もう少し安ければなぁと思っていたら、
買えませんでした。(^^;
残念ながら一日曇りでした。
だからちょっとメリハリが足りないんですよね。
黒つぶれ、白とびは少なくなって撮りやすいと言えば
撮りやすいんですけどね。
よく見ていただいてホントありがたいです。
でも無理させては申し訳ないので、
どれか一枚気に入ったものがあれば、
それだけの感想いただければ十分ですよ。
niceだけでも構いませんしね。
by minsuke (2022-04-01 00:30)
こちらこそいつもご丁寧にお返事を頂いてしまって恐縮です。私は楽しみにお邪魔させて頂いておりますので、こちらこそお返事はお気遣いなく。ほんとにありがとうございます。
新しい発見?新しい見かた?とても素敵なヒントを頂けました!
一番のお気に入りの一枚は、その時で変化するのですね!
ミツマタの日、焼き物屋さんの日、風景が一番だったり。
石仏さまのお顔も、その日で違って感じられます。minsukeさますごいなぁ。
by そら (2022-04-02 08:27)
そらさん、再びコメントありがとうございます。
写真ですが、自分が気になったものを撮ればいいと思います。
ただ気をつけているのは、見苦しい物を省くことですかね。
ゴミとか、パイロンのような面白くないものとか。
あと、欲張っていろいろな物を詰め込みすぎると、
何を見せたいのか分からない写真になるので、
その点は気をつけています。
それ以外は、奥行き感が出るように配慮はしています。
手前にぼかした葉っぱを入れるとか、
建物はなるべく真正面から撮らずに側面を入れるとか。
後、白い空はなるべく入れないようにするとかもですね。
白い空には何も情報がないのでもったいないんですよね。
なるべく省けば撮りたいものの面積を増やせるので、
見せたいものをより強く印象づけられると思います。
写真のことで参考になりそうでしたら、また聞いてくださいね。
by minsuke (2022-04-02 14:29)
岩船寺の三重塔、美しい造形ですね。
この風景の中にあるとよりいっそう存在感が増しますね^^
石塔も素晴らしいです!緻密ですね~
ミツマタもとても雰囲気があります。
紙の原料となったミツマタ…この時期に咲くんですね。最近まで知りませんでした。
アジサイの頃はまた趣が違うんでしょうね(*^^*)
当尾は「塔の尾根」が由来なんですね。
寺院が大きな存在だったのがわかります。
古い石仏、、たくさん彫られたのですね。
すごく古い時代のものもあって驚きです!
by ミケシマ (2022-04-05 17:30)
ミケシマさん、コメントありがとうございます。
岩船寺の三重塔は近くに坂があって、
三重塔を高い位置から撮影できるところが
他とは違って、他では撮れない角度から撮影できて、
面白いです。
石塔も岩船寺では魅力的な被写体だなと思って撮影しました。
ミツマタは、今まであまり認識していなかったのですが、
浮かんでいるようで変わっているなと思い撮影しました。
紙の材料になったことがあるんですね。
知らなかったです。
当尾の名の由来は自分も知らなかったです。
インターネットで簡単に調べられて、
貼り付けられるからホント今は便利ですね。
石仏はたくさんありました。
他にもまだまだいっぱいあるようです。
ただ風化があり、明瞭でなくなってきていると思います。
僕のブログ、写真がいっぱいで負担かけてすみません。
ざーと見て印象深いものが一枚でもあれば、
またコメントお願いします。
niceだけでも構いませんしね。
by minsuke (2022-04-05 19:16)